聴くに聴けないこと......... .........聴くということはほんとうにむずかしい。聴きすぎてもいけないし、聴き流してもいけない。 ひとはほんとうに苦しいことは口にしないものだし、自分にとってほんとうに大事なことは語る前には深く黙り込むものだ。 つまり、辛抱強く待つ耳があってはじめて、言葉が生まれるのである。迎え入れられるという、あらかじめの確信がないところでは、ひとは言葉を相手にあずけないものだからだ。 それでも聴くことが大切なのは、ひとが苦しみについて語りだすとき、そのひとは自分の苦しみにこれまでとは違った仕方でかかわろうとしているからだ。 それを脇から支えるのが聴くという仕事だ。 ホスピスの看護婦さんはよく、言葉を待つときに、そっとお蒲団のうえに手を当てておられる。 聴くというのは、聴いてはいけないことがひとにはあるということを深く思い知ることだと熟知されているからこそ、耳でなく、手で聴こうとなさっているのだろうか。 鷲田清一(哲学者) 言葉を 待てる 私でありたい。。 |